「いいね、その重苦しそうな感じ」
 鮮やかな金髪を揺らして、彼は不敵に笑った。
「背負ってやろうじゃねえの」
 言って、鋼の右手で持っていた書類を弾くように放り投げる。
 その様を、驚くほど客観的に眺める自分がいた。


「お、お仕事終わりかい、大佐殿?」
 部屋を辞して、通路を歩く途中で親友と鉢合わせした。
 手を軽くひらひらさせて、彼はメガネを面倒そうにずりあげた。撫で付けた黒髪に髭面の顔。。
 その様がどこか浮世離れしている気がして、ロイ=マスタングは苦笑を浮かべた。
「まあな、もう一仕事したら東部に戻る」
「つれないね、せっかく中央に来たのに。もう少し付き合ってくれてもいいだろ」
「そうもいかんさ」
 中央での仕事が終われば、今度は東方司令部での仕事が待っている。今は有能な部下が司令部に残って指示を出している頃だろうが、いつまでも時間を食って負担をかけるわけにはいかない。
「……で?どうだった。あの新しい国家錬金術師殿は」
「あれか」
「あれだ」
 しばし考え、ロイは小さく応えた。
「給料泥棒と言われた」
「それはまた。きっついねぇ」
 くつくつと笑って、マース=ヒューズ中佐は、ロイの背中を何度も叩いた。
 と。
「なあ、ロイ」
「なんだ」
 ふとヒューズの口調がだらしなくなったのを、ロイは嫌な予感を胸に抱えつつ尋ねてみた。
「嫁さんの写真見る?今、まだ妊娠中なんだけどさあ、もう綺麗なのなんのって」
「……」
 やはりか。
 胸のうちで呟いて、がっくりと肩を落とした。


「……で、ヒューズ。聞きたいのだが」
「あん?」
 ロイの声に返す様は、まるでチンピラのよう。
 青い軍服でなく、派手な色やデザインの服を着ていれば、一発でそうと疑われるだろう。
「何故私たちはここにいる?」
 こめかみをひくひくさせつつ呟いたロイと、未だに妻のノロケ話を延々と披露しているヒューズは。
 軍事施設から少し離れた、こじんまりと立ち並ぶバール(喫茶店)の中にいた。
「だあってさぁ、俺の嫁さんの写真、今はお前にしか見せたくないんだもん♪」
「私は、お前の細君の写真を何十回と見た」
 すっぱりさっくり切り捨てる。
 実際、今回の仕事の間中、ことあるごとにデレデレした親友の顔を拝む羽目になった。
 こちらの心情というものを、すこしは理解して欲しいものだが。
「かーっ、冷たいね。これだから独り者は」
「私は忙しい身だ」
「だから、いい加減嫁さんを」
「しつこいな」
 肩をすくめるヒューズに、いい加減こめかみの青筋がぷっつりと切れそうになった時。
「なあ、ロイ。聞いたか?」
「……何を」
 突然、声音が低くなった。
 この時のヒューズは、したたかな軍人の顔を覗かせる。
「あのエドワード=エルリック。筆記試験で満点を取ったそうだ」
「……ほう」
 なかなかやるものだ、と思った。
 国家錬金術師は、錬金術を心得ているものならば誰でもお手軽になれるものではない。
 錬金術を理解する基礎的な知識、応用して術の幅を広げる柔軟さ、そして戦術においての実力が要求される。
 そうでなければ、大総統の紋章が刻まれた銀時計の価値もないし、何より戦いにおいてはただの邪魔者だ。
 実際、自分より上官の者がこれぞ、とばかりに推薦した錬金術師が資格取得が叶わなかった、という話も聞く。
 筆記試験もその一つだ。かなりの知識と応用する柔軟な思考がなければ、とてもじゃないが解けるものではない。
「私も、筆記試験は満点だったぞ」
「馬鹿言え。たった12の子供がそれをやってのけたんだ。最年少記録大更新だ」
「それはわかっているが……」
「おまけに、戦闘能力はかなり高いと判断を下した。大の大人――それも、戦闘力が高いのを五人。
 そんな奴らを、たった一分もしないうちに叩きのめしやがった」
「……それは、本当か?」
 さすがに信じられる話ではない。自分が銀時計と拝命書を手渡した人物は、12歳とは思えないほど小柄な少年だというのに。
「偶然、会議中の所を立ち聞きしたんだがな、こうも言ってたよ。いい人間兵器になる、ってな」
 ロイは、黙って親友の言葉に耳を傾ける。
「冗談じゃねえ。まだ12のガキに、人殺しをやらせるつもりでいるのか? 軍部のお偉いさんがたは」
 忌々しそうに吐き捨て、ヒューズはロイを睨み付けた。
「――やけに冷静だな」
「そうでもない」
 淡々と答え、ロイは手の中のコーヒーを飲み干す。運ばれてきて随分と時間が経ったのか、それはすでに冷めてぬるくなっていた。
「自分の駒だからか」
「それもある。だがな、ヒューズ。私は」
「何だよ」
「――私は、賽を投げただけだ」
 ヒューズの眉がわずかに動いたものの、ロイは語るのを止めなかった。
「お前の言う通り、あの少年を駒として使うためかもしれん。だが。彼の力が、すべてを変えるかもしれない。私は、それを信じている」
「あのエドワードって子供が、大総統閣下になるとでも?」
「そうとは言っていない。だが、エドワード=エルリックの可能性はそれほど計り知れないのさ。もしかしたら、あの鋼の右手を生身に変えるかもしれない」
 それを、見届けたいのだ。
 あの、小さな身体に秘められた、可能性を。
 無限に広がる、少年に託された未来を。


「――ロイ。あれの右腕は、イシュヴァールの内乱で巻き込まれたと言ったが、違うんだろう?」
「無論、でたらめだ」
「――だろうな」
 ヒューズは大きく息を吐いた。
 この男は、どこまで真実を見ぬく力を持っているというのか。
 そんなことを思いながら、言葉を続ける。
「あれは、人体錬成のなれの果てだ。母親を蘇らせようとして、左足と弟の身体を持って行かれた」
「人体……ありゃ、最大の禁忌とかいう奴じゃないのか?!」
 錬金術には疎いヒューズにも、禁忌が何であるか知っていたらしい。
「その通り。そして彼は、右腕を犠牲にして弟の魂を鎧に定着させた。まだ11歳の子供が、な」
 神罰を、その身に受けた子供たち。
 その罰を償うが為だけに、もがき足掻いて生きる、二人の兄弟。
 だからこそ、見届けたいのかもしれない。
 彼らの行く、未来を。


「……しゃあねえ。付き合うとしますか。ロイ=マスタング大佐殿に」
 ぎし、と椅子をきしませて、ヒューズが言った。
「お前も、見届けるか」
「ああ。しかし、奴らにとっても興味深いだろうな」
「その時は、その時さ」
 ロイは立ち上がり、不敵な笑みを浮かべてみせた。


 無限大の可能性。
 それを握るは、罪を背負った二人の子供。
 見届けるは、自分たち。
 兵器となるか、人となるか。



 そして、賽は投げられる。

Information :
初鋼ss。何故か兄弟ではなく、大佐と中佐による話でした。
アニメや単行本六巻がまだ出てない時期に書いてた記憶があります。
始めて書いたこともあり、結構愛着のある一本。