何故こうしたかったのか。
 何故こんなことになったのか。
 自分でもよく判らなかった。
 ただ、心のうちに湧き上がったのは、
 その人が欲しいという、純粋な欲望だけだった。

   GAME

「…………っは」
 さらさらとした髪が、はらりと数本、頬に落ちる。
 自分の上に乗り上がった格好のトランは、肩で大きく息をしていた。
 痛いほど肩口に食い込む細い指。
 それは先ほどまで、己の感情に任せてしまった傷跡を残した。
 ふと顔を上げてみると、いつもの感情の見えない深い紫色の瞳は固く閉じられ、指先を強く噛んで耐えているように見えた。
「……声、」
「……?」
「声、聞かれたくなかったのか」
 自分自身でも驚くほど、冷静な声だった。
 ゆっくりと噛み付いていた指を解き、かくりとその頭を自分に押し付ける。
「……たりまえじゃないですか……。隣、誰が寝ていると思っているんです……」
 意外にもしっかりした口調で返してきたトランの反論に、なるほどそれもそうか、と納得する。ノエル――自分が護るべき対象の少女――はともかく、エイプリル――大犯罪者の美少女――に聞かれていい声では、ない。
 男に抱かれて、喘ぐ声、というものは。
 それにしても、と、トランが小さく呟く。
「……以前文献で読んで、知識として、知ってはいたんですが……」
「知識は、あったのか」
 どんな文献が残されているのだ。悪の秘密結社『台無しのカバ』――もとい、ダイナストカバル。
 ぐるぐる巡る想像(というか妄想)を無視して、声が続く。
「知識と実践するのとでは、随分と……違うものなんですね」
「……大丈夫か」
 今まで散々押し倒した事実を棚に上げておいて、クリスは小さく尋ねてみる。無意識のうちに声も弱々しいものになっていたらしく、視線を合わせたトランは薄く苦笑を浮かべて答えた。
「大丈夫なわけ……ないでしょう。腰が別の生き物にでもなったみたいに、がくがくしてます」
 悪の組織の改造人間と自称する彼から、およそ似つかわしくないコメントである。
 まあ、それもごもっともな意見ではあるが。
「……あの、それより」
「あ? ああ」
 遠慮がちな声に気が付いて、クリスは彼を寝かせてやると、これ以上傷のつくことがないように身体を離す。その瞬間、戦慄くように震えたが、ベッドに沈むと大きく息を吐いていた。
 ぼんやりと、彼の身体を眺める。
 淡く上気して、しっとりと汗ばんだ肌。胸から腹の辺りにかけて、いくつか散ったそれは。
 それでも、ちゃんと己を感じたんだ、と思った。

 始まりは、多分些細な事だったのかもしれない。
 日頃そっち方面に興味の向かないクリスだったが、気が付いたら視線で彼を追っていて。
 それが、トランにとって居心地の悪いものだったらしい。いつもの皮肉な口調でからかわれ、いつもの口喧嘩になって。売り言葉に買い言葉が、どこでどう変化したのか。
 何時の間にか、ベッドに押し倒していた。
 それに対し嫌悪感を顕わにすると思っていたはずなのに、トランの反応は意外と冷静なもので。
『……いいですよ?』
 少し唇を吊り上げ、挑発的に囁いた。


 そして今に至る。
「わたしとしたことが、予想外でした。まさかあなたに、こっちの知識があるとは」
「こっちだって予想外だ」
 同じようにベッドに横になると、トランの声に仏頂面で返す。
 ふいに会話が途切れた。ゆっくりと二人の間に、沈黙が流れる。
 それは破ったのは。
「でもね。後悔は、しませんよ」
 意外とあっさりしたトランの言葉に、少し意外そうに目を丸くしていた。
「誘った事実は変わりませんから。あなただって、それを承知で応じたんでしょう?」
「……そうだ」
 頷き、薄く笑う。
 ふと頭を支えられ、近づく彼の顔に何かを悟って、クリスはゆっくりと目を閉じた。


 きっかけは些細な事だった。
 だけど、その人を欲しいと思った。
 ゲームは始まった。
 彼が勝つか、自分が勝つか。
 まだ、それは判らない。

Information :
実はTRPG系で初めて書いた大きなお姉さん向けもの(汗)。
散髪ネタよりも先にネタが出てきていたという何とも腐った裏話。
これ書いた当時はクリトラだったはずなんですが、今は……どうだろう。