陽だまりの下の散髪屋


「……えーっと」
 クリスは硬直していた。今、目の当たりにしているほのぼのとした光景に。
 目の前に座っているのは、栗色の髪に深い緋色のてるてる坊主。すぐ傍に立っているのは、マントを脱いでローブだけになった魔術師風情漂う男。
 どちらもほのぼのとした笑顔で、男の方はさも当たり前のように鋏を握っている。
「何やってるんでしょう」
「見れば判るじゃないですか。髪を揃えているんです」
「はい〜。揃えてもらってます〜」
 いつもの高圧的なものではなく、思わず口をついて出た丁寧語に、男と少女の声がそれぞれ応えた。
 彼ら『フォアローゼス』は、薔薇の武具を集めるため、エリンディル中を旅して回っている。自分探しと称した少女の旅は、身分も経歴もそれぞれ違うエージェントたちによって結成されたギルドだ。
 過酷で長い旅はではあるものの、中心となる少女――ノエルの天真爛漫な笑顔によって、それぞれが今の状態を楽しんでいる。
 それはいい。
 確かに、この長い過酷な旅は、身なりを整える暇も余裕もないだろうが。
 ぽかんと見守るクリスに、ノエルが朗らかな笑顔で説明する。
「あの、さっきですね。エイプリルさんが、髪を切ってもらってるのを見まして」
「エイプリルが?」
 少し眉を潜める。たっぷりと長い金髪の可憐な美少女(但し中身は超シヴイ親父)を思い出し、やがてぽんと手を叩いた。
「……そういえば、最近枝毛が増えたとか何とか」
「ええ。ですから、頼まれてちょっと揃えてたところを、ノエルにも見られまして」
 悪の幹部とは程遠い、穏やかな笑顔を浮かべて、男が彼女の後を継いだ。
「えへへ、最近あたしもちょっと髪が伸びてきたんです〜。そしたら、トランさんがエイプリルさんの髪、切ってたから……ちょうどいいかなって」
「あ、ノエル。動かないで下さいね」
 にこにこと続けるノエルの頭を、男――トランが柔らかく位置を修正する。すいません〜、と間延びした声で謝る彼女の髪の先を、丁寧な手つきで鋏を動かしていった。
「もう少ししたら終わりですからね、ノエル。――そうそう、クリス」
 ふと鋏を動かす手を止めて、トランがふとこちらに向いた。
「何だ?」
「宜しければ、あなたの髪も切りましょうか。ずいぶん伸びているでしょう」
「いや、私はいらん。つーか、お前にやられる位なら自分でやる」
 トランの提案に、クリスはばっさり切り捨てた。神殿に身を置いている立場上もあるが、悪の組織の人造人間である彼に髪を切られるのは、何だか甘えているようで。
 ぷいとそっぽを向いたクリスに、ため息をついたトランが一言。
「とはいっても……あなた、こないだ切ったっていう前髪、凄まじいまでにガタガタだったじゃないですか」
「ぐ」
 ぐっさりと、痛いところを突かれた。
 確かに、そろそろ前が見づらくなったのを理由に、自分で髪を整えてみたものの、ギザギザのガタガタになってしまって。ギルドメンバー全員に爆笑されたのは、いまやちょっぴりほろ苦い思い出となっている。
「またあんなギザギザのガタガタなあなたを見て、爆笑してたら戦闘にも支障が出ます。というわけで、問答無用で切って差し上げますから、ちょっと待ちなさい」
 全面降伏。
 トランの容赦ない物言いに、クリスは首を下げて頷くしかなかった。
「はい、こちらに」
 トランに椅子を勧められ、クリスは渋々といった様子で腰を下ろす。目の前に深い緋色が一気に広がり、首元が苦しくならない程度に巻き付けられた。
 ふと、彼の右手が鋏ではなく霧吹きを握っていることに気が付いた。髪を一房とり、霧状の液体が吹き付けられる。
「冷た……何」
「我慢してください。ただの水ですよ」
 小さく呟くクリスに、穏やかな声で制するトラン。その間にも、彼は手馴れた様子で金色の髪を湿らせていく。
 一通り準備を終わらせると、霧吹きをテーブルの上に置く。そして鋏に持ち替えると、左手でクリスの髪を梳いた。
 リズミカルな音をさせて、サイドの髪から切り始める。左手は髪の先を綺麗に揃え、鋏が丁寧に切っていく。その手際のよさに、小さく息をついた。どうやら、変な頭にするつもりはなさそうだ。
「……お前、何でも出来るんだな」
「ええ。うちは貧乏所帯ですからね。……これくらいならお手の物です」
 心の底から感嘆の言葉を吐くと、何気ない口調で答えが返る。
 視線だけで、彼の表情を追う。穏やかで、柔らかさを持った優しい表情。
 そんな彼に、今どれだけ助けられているのだろう。聡明な頭脳で、怜悧な判断力と戦術で、その身に眠る、強大な魔力で。
 そして今も。
 トランの表情はどことなく楽しそうで、どこまでも優しい。言動は時々胡散臭かったりやたらと頭悪かったりするが、こういう風に何気ない状態での彼は、自分以上に今を楽しんでいるといった風情さえある。
 だから、気が付かなかった。
 何時しか、自分の頬も緩んでいるのに。
 
 いつもの自分なら、己を叱咤して表情を引き締めるのだろうが、とてもそんな気分にはなれなかった。こんなに穏やかに時が流れていくのは、随分久しぶりだと思う。
 ふと、トランの顔が目前にあった。彼は前髪を一房とり、鋏の先でちょんちょんと切り始めていた。じっとそれを見守っていると、その深い紫の瞳とかち合った。
「クリス。髪の毛が目に入っちゃいますから、閉じていて下さい」
「――ああ。わかった」
 やんわりとした言葉に声だけで頷き、目を閉じる。少し、あの綺麗な瞳が見られないのは残念だな、と思った。
「……トラン」
「はい?」
「今度、私にも教えてくれないか?」
「どういう風の吹き回しですか? 神殿の犬が」
 その軽口すらも、彼らしくて小さく笑ってしまう。
「お前だって髪は伸びるだろう? だから、ちゃんと揃えてやる」
「そうですね。その時のために、今度お教えしますよ」
 ゆっくりとした時間が闇と共に流れていく。
 窓辺から差し込む陽光が、ぽかぽかと気持ちいい。
 クリスは小気味いい鋏の音を聞きながら、微かに微笑んだ。


Information :
散髪してもらうクリス、の話。
 原作(リプ含め)準拠だと、こういう本編とは無関係の取り留めのない話が楽しいです。